toggle

自己紹介~長編~

1978(S53)年12月13日生まれ、A型、午年。

◆名前について

真麗とかいて「まり」と読みます。
“まことにうるわしく”という意味を込めて両親がつけてくれたこの素晴らしい名前にはすごく感謝しています。
私も子どもができたら同じ名前をつけたいくらい(笑)。

今の私は“まことにうるわしく”生きられているだろうか? 時々、そんなことを自分に問いかけています。

◆小学生時代

すごく大人しい女の子でした。
低学年の頃は近くに住んでいた友だちと朝、学校に行く時から学校が終わってからもずっと一緒に遊んでいました。
その子がピアノの習い事で遊べない時はピアノ教室について行き、友だちはピアノの練習、
私はそこに置いてあった絵本を読みながら終わるのを待っているという。。。この頃はその子との思い出しかありません(笑)。
ほとんどの女子がピアノを習っているなか、お稽古事は習字のみ。しかも長くは続きませんでした。

中学年になると平日は学校が終わって、家の近くにあるタコ公園(大きなタコの形をした滑り台があるので、
みんなそう呼んでいました。本当の名前はなんていうのだろう…)で遊び通していました。
ケイドロ、缶けり、靴投げ、かくれんぼetc…タコ公園に行けば必ず友だちが誰かいました♪ 外遊びはすごく楽しかった。
休日は学校の友だちと遊ぶことはないので、同じマンションの子と外では鬼ごっこ、ドッチボール、かくれんぼ。
家ではジェニーちゃん人形(リカちゃんよりジェニーちゃん派)でお人形あそび。
いよいよ誰も遊び相手がいないときは、ぬいぐるみ相手に先生ごっこ。よく遊ぶ子でした(笑)。

高学年になると担任が算数得意の男の先生になり、問題を解いて正解しないと帰れないという結構なスパルタでした。
友達に誘われてブラスバンド部に入り、大太鼓を担いでわっしょい百万夏祭りパレードで演奏したりと、
この頃の私は自分からすすんで何かをやっていくのではなく、友達に誘われたからやってみるという感じです。

得意な教科は図工と体育という小学生あるあるの典型的なパターン。
図工では版画(お題は跳び箱を飛んでいる自分)が入選して北九州市立美術館に飾られ、両親と見に行ってすごく嬉しかった!
絵が綺麗に描けてて上手というより表現力が褒められたような記憶があります。

◆中学生時代

中学校は私たちの小学校からともう1校の生徒たちが一緒になりました。
小学校の時から仲が良かった友だちがバスケットボール部に入ると言ったので私も入部することに。

私の父と兄は剣道を習っており、私もさんざん勧められたのですが何といってもあの臭いに慣れず、
何か部活に入らないと剣道部に入れられてしまう! という、ちょっとした焦りを感じながらのバスケ部生活の始まりでした。

1年生と2年生の夏まで(先輩がいる間)は、ゆる~くそれはそれは楽しい部活動でした。
しかぁしっ! わぁ~い先輩もいなくなったしノビノビできるぅ~、やっと私たちの時代がやってきた~と喜んだのも束の間、
彼が動き出したのです。
私が2年生のとき新しい顧問の先生が転任してこられました。そう、オニ顧問です。
先輩たちのいる間は指導を一切せず、引退を待ち構えたように私たちの代になると超熱血指導。
地獄のバスケ部生活がスタートしました。

彼はとにかくドS! オニ! オニ! オニ!
自分はパイプ椅子に座ってタバコを吸いながら顔色ひとつ変えず、
試合後にヘロヘロになっている私たちを、自分が「ヨシッ」と言うまで走らせたり(モチロンなかなか「ヨシッ」とは言いません)、
ルーズボールを取れるまでさせたり、連発ビンタなんて日常茶飯事でした。私は特によく叩かれました(泣)。
部員の中で一番叩かれてたんじゃないかな、そしてその度に泣いてましたね。毎回。
今、振り返ると決して痛くて泣いていたわけではなく、彼に対する恐怖心と自分に対する悔しさで涙が止まりませんでした。
いったん涙がでると止まりません、泣き虫です、私。

でも、そんな地獄の練習のおかげで無名の中学校が県大会まで出場できましたし、
なにより練習がキツイからとか顧問が厳しい人だからと言ってやめずに続けたということが

「あんなに肉体的にも精神的にも苦しいことに耐えられたのだから、それに比べれば楽なもんだ。諦めてはいけない」と
自分への自信につながっています。継続は力なりです、本当に。

ですが、当時はそんなこと分からず“必死”の一言しかなく、彼が風邪で学校をお休みすることだけを願っていました。
中学生時代はとにかく、部活がきつかったことしか覚えていません。その顧問の先生の名前、お顔は一生忘れません(笑)。

◆高校生時代

もちろんバスケ部です(笑)。入学した高校のバスケ部も地域では一番の練習のキツサで有名でした。
中学生の時に合同で何度か練習をさせていただいたことがあったのですが、こちらの練習の方が圧倒的にキツく、
そして時間が長かったです。

入部した夏に「1年生大会」という1年生だけが出場する大会があり、その時キャプテンをさせていただいたり、
これから毎日の練習でもっともっとバスケがうまくなるハズでした。
そう…そのはずだったのですが、残念ながら練習中に左ひざ前十字靭帯(ぜんじゅうじじんたい)を損傷してしまい、
手術をすることに。1年生の終わり頃、選手生命を絶たれてしまいました(おおげさ)。
運動することが好きだったので、これは辛かったです。

もうバスケができない。。部活は辞めようと顧問に退部の意思を伝えに行くと「籍だけでも入れておけ」
との温かい言葉に甘えさせて頂くことにしました。
せめて、練習には参加して自分の出来ることをやろうと、左足を重点的に筋トレを行っていました。
みんなの練習を見ながら一人で。辛かったです。みんなが走る姿を羨ましいとも思い、
私はなんの戦力にもならないのにここに居ていいのだろうか? と。

練習が厳しい部だけに「あいつは、毎日筋トレばっかりでいいよなっ」とか思われていないだろうか。
そんなことを思いながらの引退まではすごく時間が長かったです。
でも「辞めます」と言わなかったのは、バスケ部の一員でありたかったから。

私にとって部活とは「試合に勝ち進む」という同じ目標をもった仲間と、がんばって成長していく大切な時間でした。

大学受験では、志望校の2次試験が科目の筆記試験ではなく、
デッサンだったので担任の先生が美術の先生にお願いしてくれて平日、土曜日とみっちりマンツーマンレッスンしてくださいました。
E判定で合格。
志望校を変えず、諦めなくて良かったと先生や両親の応援の大きさに本当に感謝するだけです。

バスケはできなくなったけど、高校生活もすごく楽しかったです! もっと勉強しておいたらよかったなぁ~とも思うのですが(笑)。

◆大学生時代

北九州の地元を離れ、山口県の大学へ入学しました。
家政学部生活デザイン学科という学科で、基本科目に加えデッサン・意匠・被服・デザイン・設計デザイン・都市開発デザインなどを学びました。4年間はあっと言う間で卒業制作は椹野川の河川敷開発をテーマにパネルと模型で表現しました。

1年間は寮生活だったのでホームシックなんてことにはならず、バイトで忙しい毎日でした。生まれて初めてのバイトは山賊鍋。
半年ほどで辞めてしまい、セブン・イレブンとお好み焼き屋さんを掛け持ち。その後、セブン・イレブンは卒業するまで続けました。接客業で常連さんの顔や好み(注文の多い料理や商品)を覚えるのは得意だったし、お客さんとお話するのがすごく楽しかった。
コンビニのバックヤードで無心に黙々と検品、在庫整理をするのも楽しかったです。

人と一緒に働くことの面白さはこの頃から感じていました。お客さんとのコミュニケーションも大切ですが、
バイト仲間とのコミュニケーションも大切で幸い人に恵まれていたので長く楽しく続けられたのだと思います。

ここで、学生生活はおわり。
その時期にしかできないことを体験できていたんじゃないかなぁ。友だちは個性的な人が多く
(この世に個性の無い人なんていませんが)、優しい人たちばかり。
書籍などで時々「友だちはいらないもの」と言われますが、私は「友だちとはかけがえのないもの」と思っています。
一緒に笑ったり、泣いたり、喧嘩したり、言いたいことを言い合ったり、刺激を与え合ったり、支え合ったり。
そういう人たちが周りに居てくれるからこそ、生きるって大変だけどがんばれるし、楽しいよね! と思えます。
それは人数ではなく、極端に言えば1人でもそういう存在がいてくれたらつくづく自分は幸せだなぁ~と感じます。
家族とは違った距離感でそばにいてくれる友だちは、人生を豊かにしてくれるマストです。
私は人とのご縁に関する運はすごくいい! これは断言できます。

さてさて、いよいよ社会人へ突入です。

◆就職

新卒採用で山口県山口市にあるシマダ株式会社(総合建設業)さんへ入社しました。ここには8年弱ほどお世話になって、
色々な経験をさせていただきました。思いつくだけでも

・NPO法人の事務局
・不動産業の受付事務、記帳、伝票おこし
・ニュースレター(住宅部、不動産部)、カレンダー、チラシなど印刷物の制作
・ホームページ制作
・商品の営業
・イベントの司会、受付、写真撮影
・ギャラリーのレンタル業務
・BIOFACH JAPAN オーガニックEXPOへの参加
etc

とにかく、なんでもやります精神で「できません」と言ったことはなかったです(笑)。
おかげで短期間の間に誰もができることではない経験を沢山させていただきました。
会社は当時、9割は男性です。いくつか部署も分かれており、それぞれが素晴らしくユニークな人たちばっかり!
その中で仕事をしていくとなると鍛えられますよぉ~いろんな意味で。お酒も強くなりました(笑)。

ここでの仕事を通して、目の前のことを楽しんで行うことが次の楽しさを引き寄せてくるのだと知りました。
この「何ごとも楽しめる」マインドは、すごく重宝しており、
そういう人といると自分も楽しくなるようで主人が私のことを好きな理由の一つです。

◆転職

福岡市天神にある公認会計士・税理士山崎隆弘事務所さんへ転職。今の主人が福岡で働いていたので、私も福岡へ住み始めました。

ここでも、5年間ニュースレターなどの印刷物、ホームページ制作を担当させていただきました。
仕事内容は前職とまったく変わらなかったのですが、事務所が主催する以下の勉強会や講演会に参加することで、
より仕事に関する知識を深めることができました。

・ジェイ・エイブラハム マーケティング勉強会
・ドラッカー勉強会
・ナチュラル・ハイジーン勉強会
・文章講座
・社会で活躍する女性のための「マイ・フェア・レディ勉強会」
・SMI勉強会
・本田健さん講演会
・神田昌典さん講演会

また、「ワードでA4両面カラー100部のニュースレターを定期的に発行するセミナー」の講師や、
外部セミナーでもお話させていただきました。
山崎会計事務所では、仕事の専門知識と合わせて人生計画や夢、目標を持つことの大切さを学ばせていただき、
沢山のご縁をいただきました。そのご縁は大切な財産です。


ここでは、文章が書けるようになったことが何よりも私の財産となっています。
自分の想いを文章にし、それに頷いてくれる人、共感してくれる人がいることにすごく喜びを感じました。
文字にすることで自分自身の考えが整理でき、癒されることもあります。
たまに、自分でも気づいていなかった正直な気持ちを知り涙がポロポロこぼれることも。
これから文章力にもっともっと磨きをかけていきたいです。

OL時代はお給料を頂きながら、仕事のスキル・自己成長・礼儀etcが学べます。なんて贅沢な日々なのでしょう。
OLバンザイ! です(笑)。そんな楽しかった会社員時代にさよならしたのは、いくつかのタイミングが合わさったからです。
人生、一度きりしかありませんからね!

◆起業の決断

「なぜ起業したのか」

「なぜ、今の業務内容・分野で、起業したのか」

ずっとやっていたことだから・・・。

ということと、ビジネスを行う醍醐味はなんと言っても「お客さまに喜んでいただける」ことですよね。
そのためには、商品・サービスの良さだけを語るのではなく、経営者の想いや世界観、仕事中の様子、
どんなスタッフが働いているのかなどをきちんと伝えていくことで
「この会社(お店)の商品やサービスって好きかも」
「この人なら自分の想いがわかってもらえるかも、悩みが解決できるかも」とまず選んでもらい利用したあと、
この会社(お店)の商品やサービスを買ってよかった、お願いしてよかったので
「次からもここにしよう!」
とつながっていくべきです。

それには定期的にお客さまとの良好な関係がきずけるニュースレターが最も効果的だからです。

そして、何より私自身がいろいろな人の考え方、価値観、世界観に触れることにすごくワクワクするのでこの仕事を選びました。

「今後の夢」

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!  自己紹介ページへ戻る